

倭大后は天智天皇の皇后で、この歌は天智天皇が崩御のときに詠まれたものです。
木幡は宇治市北部の地名で、青旗はそれにかかる枕詞。また、青旗は木々が茂った緑豊かな景観を浮かび上がらせる効果も与えています。天皇が葬られたのは山科で、その地へ倭大后は思いを馳せているのです。
亡き天智天皇の御霊が自分には実際に見えると、倭大后は言っています。そこに、恐れと畏れの両方を感じます。
もともと、倭大后は父である古人大兄を天智天皇に殺害されているのです。その上で嫁いだところから始まり、時を経てひとり残されてしまう。そのような経過を踏まえて読むと、この歌の後ろにはたいへんもの暗い感情がこもっているように感じられるのです。
空を通う霊は見えるけれども、実際に会うことはできないというこの歌には、古代らしい雰囲気が横溢していて、『万葉集』ならではの面白さがあると思います。

「恋しくて恋しくて、やっと逢えたときぐらいは、愛情深い言葉を言い尽くしてくださいね。これからもふたりの仲が長く続いてほしいと思うのならば」。
甥である駿河麻呂との恋の歌の贈答のうちの一首です。「恋ひ恋ひて」という印象的なフレーズを最初に使い始めたのが坂上郎女で、この歌から彼女の包容力や余裕か感じられます。
坂上郎女の最初の夫はずいぶん年上の穂積皇子。結婚後、一年半たらすで穂積皇子は亡くなるのですが、
非常に愛された結婚生活の中で、郎女は人間として女性として大きく成長したのだと思います。その後もいろいろな恋をして、悲しみも知る。
やがて大伴宿奈麻呂と結婚して、大伴家を支え、中年になってからも、甥の大伴家持や駿河麻呂と擬似恋愛的な歌のやり取りを楽しんでいました。坂上郎女は、生涯をかけてふくよかに、女であり続けることを楽しんだ人で、彼女の恋の歌にはそれがよく表れています。

東国庶民の歌と言われる東歌ですが、そこには万葉時代ののどかな庶民生活や、ユーモアが垣間見られて、秀歌が多いのです。「柳が芽吹いている川岸で水汲みも手につかず、もしかして恋しい人に会えるかしらと、往ったり来たり土を踏みならしていることよ」。「張らろ」は「張れる」の方言で「せみど」も方言、音の面でも非常にユニークで気持ちいいですね。「川門」は川幅が狭くなっている岸のことで、水汲み場になっていたところです。
この歌には、普段はしないようなさりげない動作の中に、恋するゆえの情感がにじんでいるように感じられます。このような牧歌的な風景、素朴な恋心などは、『万葉集』以外の古典和歌にはほとんど見受けられません。
庶民的な歌だからこそ、情景を思い浮かべやすい。また、懐かしさのような感覚が芽生えてくる。そんなところが東歌ならではの味わいです。現代の私たちの心にも、東歌に詠まれた恋の情景は、ストレートに響いてきます。

伊勢は懇意にしていた男に黙って、宮参りなどをして山にこもります。しばらくして帰ってきたら、男から、「僕に黙ってとこに行っていたの。心配で心配で、消えてしまったかと思った」 という手紙が届く。それに対して、すぐさま返答した歌です。
「私の深い思いにくらペれは、あなたの思いはまるでうたかたのようにはかないものです、とはいえ、どうしてあなたに逢わずに消えることができましょう」。
「思ひ川」は歌枕であり掛詞です。「うたかたぴと」は、浮気でしょっちゅうついたり消えたりするような男を表しています。そんな泡のような男であっても、私は好きですよと伝えているのです。ふたりの恋は所詮は遊び。でも、その遊びの中に真実があるのです。
こういう歌がすらすらと出てくるところなど、伊勢の歌の巧さは並大抵ではありません。言葉選びが巧みで、贈られた男は嬉々とする。そんなことから、たくさんの男が伊勢に心惹かれていったのです。

奔放な恋に生きた歌人として知られる和泉式部ですが、最後まで愛情に満たされることはなかったのです。いつも孤独な魂の飢えを感じながら、その塊が救われることを願い続けた。そのようなことから、彼女の恋の歌はたいがい、屈折していて暗いのです。
しかし、この歌には温かさがある。和泉式部の面目が出ていると思います。「思いも乱れて、黒髪を乱したままで床にうちふしていると、まっ先に恋しく思いだされるのは、この黒髪をかきなでてくださったあの人のこと」。
伊勢のように技巧的ではないのです。だからこそ、場面が直に伝わってくるし、情に訴えかけてくるのです。王朝時代の和歌は、技巧に富んではいても、情に欠けやすくなります。和泉式部のこの歌には直情的な力があるゆえに、ひときわ魅力を放っているのです。
藤原定家の本歌取りをはじめ、待賢門院堀河や与謝野晶子など、この歌に影響された歌人は少なくありません。

この場面を想像してみると、屋敷にひとり耳を澄ました式子内親王がいます。
「庭に落ち積もった桐の葉を、だれかが静かに踏みしめながら、近づいてくるような予感がして、その気配が身にしみている。必ずしも人を待っているわけではないのだが」。 桐の葉は大きくて、踏むとガサッという音がするのです。それを踏む人はいないかと、じっと耳を澄ましている。そして、内親王の心情が下の句の否定の言葉に表れる。そこには、否定しても否定してもにじみ出てくる、艶な余情の美が感じられます。
この歌は式子内観王が50歳前後のころにつくられたもので、病苦を押して詠んだ百首歌の中にあるものです。内親王の生涯は、決して恵まれていたとは言えません。天皇の皇女という地位ゆえに自由な恋愛は許されず、だれに嫁ぐこともなく出家しています。しかし、その歌は見事な物語性と情感にあふれていて、「忍ぶる恋」の主人公を生涯かけて演じ切ったと言ってもいいでしょう。
























